ゲームのテンポとゲームシステム
デジタルアナログ問わず、ゲームにおいてテンポというのはとても重要な要素であると思います。
といいつつ、テンポと一口に言ってもその根底にある思想は様々です。
今回はそのテンポについてあれこれ考えてみようと思います。
まず、ゲームのテンポとは、ゲームのスピード感と必ずしもイコールではありません。
例えば、横スクロールアクションゲームとして、「マリオ」「カービィ」「ソニック」あたりを考えてみましょう。
この中ではソニックがダントツにゲームスピードが速いです。時点でマリオ、一番のんびりしてるのがカービィでしょうか。(もちろんシリーズ毎に差はあります)
しかし、だからといってカービィのテンポが悪いとはあまり感じませんよね。
このようにゲームのテンポとは全ての動作がサクサクと進むことではありません。
むしろ、ゲームのテンポとは「レスポンスの速さ」。もっとわかりやすくいうと、「したいと思ったことがすぐできるか」という点にあります。
例えば、ソニックというゲームにおいて、ソニックを動かす目的は「遠くまでかっ飛んでいきたい」です。それを手軽に実現するためにソニックはハイスピードで転がっていくのです。
一方、カービィの場合はゲームの目的はもちろん色々ありますが、基本的には「敵を吸い込んでコピー能力を得たい」「作り込まれたマップを探索してアイテムや通路を見つけたい」という点にあります。
カービィにおいて吸い込みは極めて基本的なアクションになりますが、もしこの吸い込みの射程が極端に短かったらどうなっていたでしょう。つまり、敵に接触しないと敵を食べられないとしたらどうでしょう。動き回る敵と座標を合わせるのに苦労し、それに延々と時間を吸われることになります。
だから、カービィは吸い込むのです。カービィは様々なコピー能力を手に入れて楽しむゲームですから、そこに至るまでのステップを軽快にする。ここにカービィというゲームのテンポ作りがあります。(似たような話がヨッシーシリーズでもいえますね)
また、カービィのマップは往々にして上下左右に広く、隠し部屋や隠しアイテムに満ちた構成になっています。このマップを探し回るのがカービィの一つの醍醐味ですが、それなのにカービィがソニックばりに高速で動いていたらやりにくくてたまりません。カービィの一見のんびりした速度も、探索というゲームの目的を実現するためのテンポデザインなのです。
ちなみに、カービィの探索ではブロックを壊すという動作が非常によく行われます。すっぴんカービィではこのブロック破壊はかなり面倒くさいのですが、多くのコピー能力ではブロックを一度に大量に破壊できます。ここでコピー能力を得ることにより「爽快感」を手に入れられる設計になっていますね。
この観点でのテンポを考えると、ボードゲームでもテンポに対してかなり緻密なデザインがなされてます。
例えば、電力会社というゲームがあります。これは発電施設を競り落として電力会社を経営するシミュレーションゲームなのですが、このゲームには「燃料の相場」という概念があります。燃料が減れば減るほどその燃料が高騰していくのです。
この設計をゲームに落とし込もうとした時、自然に出て来る発想は「残る燃料コマの数と燃料の単価を対応させた表を載せておく」です。こうすれば、燃料コマを数え、表と照らし合わせることで、燃料の単価を調べることができます。
しかし、電力会社はそうはなっていません。このゲームでは、ボード上にある燃料コマ置き場の下にその単価が書いてあります。つまり、燃料コマを左から取っていくという約束事があれば、取る燃料コマの下に書かれている数字を見ることで、燃料の単価がわかります。
要は、コマ置き場と表を一体化させたことで、「個数を数えて表を参照する」という手間を削減したことになります。
ここで上げた例は非常に単純な例で「何をつまらないことを」と思われるかもしれませんが、世のボードゲームにはこういったテンポのための工夫が随所に施されています。
ゲームとは、何らかのアクションを起こすことで一定の快楽を得るものです。仕事でも作業でもない、ただの遊びです。
そういった遊びにおいて、いかにストレスを無くすか、「やりたい」と思ったことだけがすぐできるようなデザインにするか、というのは非常に重要なポイントになると思っています。
そこで、私はTRPGのテンポについて色々思うところがあるのですが、これはまた次回。
TRPGの面白さってなんぞや(後編)
前回はTRPGの自由度は案外高くないよ、といった話をしました。
では、自由度幻想というものが崩れ去った今、TRPGの面白さはどこにあるのだろうと考えてみます。
私がプレイしているソードワールド2.0の世界観は基本的に中世ファンタジーです。
とはいえ、やや近未来的なギミックの存在を許していたり、かなり懐の深い世界観になるようデザインされています。
そんな中、プレイヤーたちは主に酒場に集う「冒険者」と呼ばれる存在となり、遺跡の探索やクエストの攻略などに勤しむことになります。
ところで、これと似たような枠組みの世界観のゲームは他にもあります。
複数のプレイヤーが集まってギルドを結成し、クエストをこなしたりレアアイテムを狙って強敵に挑んだりします。
もともとドラゴンクエストに代表されるCRPGは、TRPGをゲーム機の上で実現したいというモチベーションから始まったものであり、その一つの完成形であるMMORPGとTRPGの世界観が似通うのはある種必然です。実際、国産RPGの先駆けであるドラクエシリーズも10はMMOですしね。
しかし、CRPGはパソコンのスペックをフルに活用して大きな進化を遂げています。
膨大な広さのフィールドにド派手な戦闘シーン、プレイヤーキャラクターもかわいいグラフィックできれいに表現されています。会話を盛り上げるパーティグッズも豊富です。そして、膨大なパラメーターやアイテム、自由度の高いスキル育成も考え抜かれたユーザーインターフェースで楽々管理できます。
CRPGはTRPGの掲げた理想を最高の形で実現するため、日々進化を遂げているのです。
それに比べると、TRPGは未だに紙とペン。せいぜい、スマホアプリを使った計算ツールがあったりする程度です。*1
では、いまだにCRPGにできなくてTRPGでしか味わえない興奮とは何でしょうか。
ここを疎かにしてしまえば、TRPGは「劣化MMO」となってしまいます。
私自身、TRPGに対して「劣化MMO」という感想が拭えず、どういうプレイングをすべきか、どういうゲーム設計をすべきか考えてきました。
まだるっこしいのは苦手なので結論を言ってしまいます。2つあります。
まずは「プレイヤーと操作キャラクターの一体感」です。
CRPGはコントローラーやキーボードを通じてアイコンを操作します。つまり、キャラクターとプレイヤーの間にどうしてもワンクッション差が生まれるのです。*2
しかし、TRPGでは自分の体でキャラクターを表現します。もちろんルックスの再現度はゼロかもしれませんが、途中で鏡を見るわけではないので問題になりません。まさに自分自身の体が物語世界の一員として動くのです。この没入感は現状、他のゲームでは体験できない興奮でしょう。*3
もう一つは「会話劇主体のダイナミックなストーリー展開」です。
通常のRPGではNPCのセリフは全てプログラムされたものです。それに対して行えるアプローチはせいぜい選択肢を選ぶことぐらいになります。
しかし、TRPGにおけるNPCは全てゲームマスターが担います。アドリブもなんのそのです。このNPCはそれまでの会話で生じた内輪ネタを丁寧に拾ってきて笑いに変えることすらできます。
MMOでも、プレイヤー同士の会話に関しては、非常に豊かなものが実現できます。しかし、クエストでは決められたテキストを読むだけであり、プレイヤーとメインストーリーの潮流には乖離があります。
この壁を取り払うことができるのは、現状ではTRPGだけなのではないでしょうか。
以上が、私が暫定的に定めたTRPGのゲームとしての魅力です。
2つをまとめると、「メインストーリーに対する没入感」でしょうか。
TRPGでは、シナリオに登場する様々なキャラクターと会話することが可能で、その活力にあふれる会話劇からストーリーにのめり込むことができます。あたかも、自分が映画の中の登場人物であるかのように振る舞えるのです。まさにロールプレイングの一つの理想形ですね。
逆を言えば、この特性を殺すようなセッションを設計してしまうと、「劣化MMO」になると思っています。
では、これらの個性を最大限に活かすようなシナリオ設計はどのようなものか。そんな一般論を今後あれこれと考えていきたいと思います。
ということで今回の記事はここまで!
こぼれ話
ちなみに、一人用のCRPGでも似たような問題が存在します。一人用のRPGでは、大きく分けて「主人公=あなた」タイプ(ドラクエ、ペルソナなど)と「明確な主人公が存在」タイプ(FF、テイルズなど)に分かれます。
ドラクエタイプは「プレイヤーと操作キャラクターの一体感」を重視しています。結果として、ストーリーの上では傍観者になりがちです。一方でFFタイプでは主人公への感情移入がしやすく、また主人公を中心にストーリーを展開できるためストーリーへの没入感は高いのですが、プレイヤーと主人公の距離は遠くなります。
このように、一人用ゲームでも上記2つの体験を同時にクリアすることは難しく、「ストーリーに対する没入感」という点では、TRPGが最も優れていると思われます。
「ポケモン不思議のダンジョン」などその問題を極めてうまく回避したシリーズもありますが、さすがにこれ以上は別のお話なので、今度こそここまで!
TRPGの面白さってなんぞや(前編)
はじめに。
私はまだTRPG(ソードワールド2.0)を初めてまだ1年にも満たないペーペーです。
その代わりといっては何ですが、コンピューターRPGは生まれてから現在に至るまで、結構な本数をやってきています。
その視点から、TRPGの面白さがどこにあるのかについて書いてみたいと思います。
私にとってTRPGはなかなか面白さがわからないものでした。
というのも、巷で言われているTRPGの面白さを聞いても、劣化MMOという印象が長いこと拭えなかったからです。
TRPGの自由度ははっきり言ってあまり高くないです。
TRPGは、ゲームマスターが作ってきた世界を、口頭や簡単なマップを介して冒険するというスタイルが基本です。言ってしまえば、ゲームマスターの頭の中を探検しているようなイメージです。なので、当然ですがゲームマスターの頭の外には飛び出ることができません。
もちろん、プレイヤーたちがゲームマスターの想定外の行動を取ることはあるでしょう。しかし、よほど冒険的にアドリブを効かせられるマスターでない限り、そこから予期せぬ方向にシナリオが展開してということはまずありません。むしろ、ゲームマスターはいくつかの行動パターンを予測し、それが可能となるようにオブジェクトを配置しますし、いくつかの可能性の中から選択肢を選んでいくというテキストアドベンチャーのような形式が大部分になります。
また、思う存分世界を遊び倒そうとしても3つの制約がつきまといます。
1つはビジュアルがないということ。
プレイヤーはそのマップのディテールを知ろうと思ったら、何度もゲームマスターに質問をしなければなりません。
また、一人かつ手動で情報を管理しなければならない都合上、マップの作り込みにも限度があります。複数のスタッフでマップを作り込み、コンピューターで膨大なフラグを管理できるコンピューターRPG(以下、CRPG)にはかないませんね。
視覚の力というのは偉大なもので、CRPGでは当たり前のように見たままの世界をあれこれ探索して回れるのですが、TRPGではそれができないのです。
確かに取れるアクションの数は無限大なのかもしれませんが、肝心のフィールドが極めて狭いために想定されるシナリオもせいぜい選択肢式のテキストアドベンチャーと変わらないのです。
2つは複数人で行っているという点です。
TRPGは一人のゲームマスター(=CPU)で全てを管理する手前、一度に処理できる事項は一つです。
なので、パーティーを分割して別行動をするというのは、基本的にできません。たまにやることもありますが、他の人はその間、ただ待っているだけ状態になるので極力減らすに越したことはありません。
なので、行動するとき、特に移動する時は全員一緒に行動します。
すると、キャラロストへのリスクもあり、突飛な行動や危険な行動というのはどうしても躊躇されがちです。
私の知る限り、TRPGでは「全滅してもセーブしたところからリトライ」ということは基本的にできません。
コミュニケーションゲームである以上、同じ手順を二度踏むのは茶番感が強くなりますし、何より緊張感がなくなります。
私はCRPGをプレイする時、「そっちには強い魔物がいるから危ないよ」と止められた洞窟とかに行って実際に全滅するのが好きです。本当に「世界を探検してる」という感覚が得られるので。
そういった、コミュニケーションゲームであるが故、一度きりの体験を重要視するゲームであるが故に、TRPGでの行動というのは大きく制限されるのです。*1
では、そういった自由度には大きな制限があるとわかった今、TRPGの面白さはどこにあるのだろう?
と疑問を投げかけたところで、大分長くなったので次回に回します。
*1:その意味では、電子ゲームで「リトライ」という概念が発明され、当たり前のものとして定着したのって結構すごいことですよね
はじめに
はじめまして。
人道舎と申します。団体名っぽいですが個人名です。
このブログでは、自分の趣味であるゲームについて思ったことをあれこれ書いていこうと思っています。
取り扱うゲームはコンシューマーゲーム、スマホゲーム、ボードゲーム、テーブルトークRPG(TRPG)などです。
私は昔からRPGというやつの魅力に取り憑かれていまして、コンシューマーはほとんどRPGの話になると思います。
しばらくはTRPGの話がメインになると思います。
TRPGはソードワールド2.0を主にプレイしており、プレイ歴はまだ一年ほどのペーペーです。
なので「コンピューターRPGオタクの視点から、TRPGについて思ったことをあれこれ語るブログ」と思っていただければ大体合ってます。
なお、このページでは専門用語としての略語(PL、GMなど)は極力使わないようにしています。
そういう言葉を見るたびに「なんだこいつら、気取りやがって」と思ってしまう、私のひねくれた根性が主な理由です(笑)
とはいえ、ただでさえ一つのゲームを始めるというのはそこそこ心理的障壁が高いものであるのに、そこに更に専門用語を増やすのは得策だとは思いません。「郷に入っては郷に従え」とは言いますが、その郷に従うというのもなかなか労力を使うものなのです。こんな至極細かいところで労力を使わせるのは、あまり親切な設計だとは思いません。
(2d6などむしろ言葉で説明するほうが面倒くさいような言葉については積極的に使います)
というわけで、弊ブログは初心者にも読みやすい・わかりやすい・面白いブログを目指して運営していきたいと思います。
どうぞよしなに。